軌跡は、奇跡

いまサンディエゴでサーフィンをしているしあわせをかみしめるとき、いつも思い出す日のことがあります。2012年2月に夫を亡くして数カ月後のことです。

Satoko

夫がいなくなった後も、鵠沼で度々一人でサーフィンに出ていました。でも、毎回打ちひしがれて帰ってきました。いまよりずっとへたっぴだった自分は、「ここで波待ちしよう」「この波、行ってみな」とアドバイスをしてくれる夫なしには、乗れる波を選ぶことができず、当然、波を捉えることもほとんどできず、結局、海に一人で数時間孤独に浮かんだだけで帰ってくる、その繰り返しでした。

夫なしでサーフィンするときに湧き上がってくる感情は多様で、複雑でした。

たとえば、いままでちょっと上達した気でいたけれどそれは全て夫頼りだったという現実を突きつけられた衝撃。これからもサーフィンをしたかったら夫なしでもできなきゃいけないのにできていない自分のふがいなさ。でも、そもそもわたしにとってサーフィンは二人でやるから楽しいものだったのに、一人でがんばるものになってしまったという寂しさと空しさ。波待ちのラインナップの中に、夫と似た姿勢の人を見つけると苦しくなって、その日はもう何もできなくなりました。

それでも、一週間もあくと海には行きたくなるのです。もしかしたら、その頃はサーフィンそのものではなく、海に浸かるという行為に惹かれていたのかもしれません。夏の湘南の海水は温かく、ぷかぷかと浮かんでいると気が紛れたし、時々ぐるぐると波に巻かれると心底「どうにでもなれ」と思えて、まだもう少しがんばって生きられるような気がしたのです。

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当時は何をしても、しなくても、ひたすら空虚でした。もちろん、友だちと会って笑うときは本当に楽しくて笑っていたし、おいしいごはんを食べたら心からありがたいと思っていたのですが、その時間が過ぎ去ると、必ずといっていいほどとてつもない徒労感に襲われました。

あの頃のわたしは、「未来につながっている何か」を見出すことができず、それが苦しかったのだと思います。「未来につながっている何か」、それは「希望」です。「希望」とは、叶う叶わないに関係なく、それを持つことが自体が生きる糧になるもの。でも、夫がいなくなってしまった後、わたしはそれを見つけることができませんでした。なぜ、わたしは、生き残っているんだろう? 生き残って何をしろというのだろう?

正直、何にもしたくありませんでした。実際、ほとんど何もしていませんでした。ありがたいことにお仕事を何件かいただいたけれど、最低限こなしたら限界で、「ごめんなさい」しました。悲しさだけじゃなくて、本当に、体が重くて、だるくて、一日ひとつの用事をしたらもう精一杯。頭もばりばり働いていた頃のようには動かず、自分が自分でなくなってしまったみたいでした。

それでも不思議なことに、海には足は向かうのです。

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夫が亡くなって数カ月したある日、自分にとっては少しだけ大きいと感じる波の日に、パドルアウトしたら、それだけで息が上がって、ふらふらになってしまいました。その後、テイクオフしようとしてタイミングを間違え、派手に波に巻かれました。洗濯機の中に放り込まれたようなごぼごぼの渦の中で、何することもできず、一瞬気が遠くなるような感覚がありました。

何秒くらいだろう? 海面に顔が出た後、サーフボードを探して、よろよろと這い上がりました。「いまの自分にはサーフィンをする体力がないのか…」。そう思ったら突然、泣けました。それはもうびっくりするくらいの号泣でした。

サーフィンだけが、唯一、いま、やりたいと思えることなのに、それもできない体になったら、もう本当に生きている楽しみがない。

でも、大泣きしているときに、急に、もう一人の冷静な自分がいることにも気がつきました。冷静な自分はこう言うのです。「あれ? わたし何にもやる気がしない、何もやれない、何も楽しくないって言っていたよね? でもサーフィンができないならつまらないって思うってことは、少なくともサーフィンはしたいってことだよね?」。

それに気づいたとき、腹の奥にちょっとだけ力がみなぎるのを感じました。じゃあ、サーフィンをがんばってみればいいじゃん。別にそれが何につながるかなんてわからなくていいじゃん。ただサーフィンを続けたい、それだけを理由に生きることをがんばってもいいじゃん。

そのためにはまずは体力からだ。体を整えねば。そうして病院に行ったところ、とてつもない心身の不良は貧血からきていたことが判明。死別後のうつだとしたら心の話だからやっかいですが、貧血は体のことだから対処法はわかりやすいです。当面の対処療法として鉄剤を処方してもらったことで、少なくとも体は明らかに元気になりました。

神様というものがいるならば、あの頃のわたしが生きたいと思えるようになるために与えてくれたのがサーフィンだったのではないか。当時、サーフィンは遠い未来につながる希望ではなかったけれど、でも、少なくとも明日も目を覚ますことへの希望であってくれました。

それを積み重ねているうちに、次はカリフォルニアの聖地といわれるシャスタに出会い、シャスタに通うことに希望を見出して、カリフォルニアに移住しました。シャスタにはまっていたときは、サーフィンはこの際、諦めていいとも思っていました。

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サーフィンにのめりこんでいるときは、カリフォルニアは見えていなかった。シャスタを通してカリフォルニアに憧れたときは、サーフィンは二の次になっていた。でも、結果として、カリフォルニアでサーフィンしているという「あの頃の未来」に、いま、わたしはいる。

人生とは不思議だと、ついわたしがこのブログで何度も書いてしまうのは、夫が亡くなってからここに至るまでの流れをいちいちしみじみと思い出すからです。

つらいときは、情熱も希望も見出すことは難しいです。遠い先を見ることもとてもできません。でも下を向いた足下に、ほかの場所より少しだけ光っているように見える、小さな貝殻みたいなものはきっと見つけられます。当面はただそれをひたすら拾い集めればいい、と経験で学びました。

それを集めることが何になるのかなどわからなくていいのです。自分のしていることが未来につながるように見えないと、ついつい意味はないように感じて不安になったりもするけれど、それでもその小さな光を頼りに時間を稼げば、ある日、突然、視界が開けていることに気づく日がくる、そんなものだと思うのです。

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