
2010年、東京目黒区から湘南鵠沼に引っ越してすぐのことです。二世帯住宅の階下に住む義父が「散髪に行ってくる」と出かけて数分もしないうちに戻ってきたことがありました。
「散髪に行ったんじゃなかったんでした?」と言ったら、「床屋が休みだったんだよ」と義父。「定休日だったのかしら?」と聞いたら、「いや、臨時休業だった」と答え、こう言ったんです。「たぶんサーフィンに行っちゃったんじゃないかな。今日は波がいいんだろう。仕方ないね」。
義父は波乗りはしません。でも、その義父からこのセリフが出てくるとは。この時、わたしはなんだかわからないけれど、この街が好きだな、とすごく思ったのでした。「波がいいからといって店を閉めるとは考えられん」ではなくて、波乗りをしないお義父さんまでもが、「波がいいんだから仕方ない」と普通に言っている、その懐の深さみたいなものがいいなと思ったのです。

なぜ、突然、この話を思い出したかというと、先日、フォトグラファーの竹井達男さんをインタビューさせていただいて、話をしているうちに、自分の中で急にあることが明確になったからです。
それは何かというと、わたしが好きだったのはサーフィンそのものというより、サーフカルチャーだったんだ、ということ。
カルチャーという単語を聞くと、音楽とかファッションのイメージがすぐに出てきてしまうので、これまでサーフカルチャーと言われてもずっとピンとこなかったんです。でも、改めて調べてみるとカルチャーとは文化。文化にはいくつか意味がありますが、サーフカルチャーというときは、きっと「特定の社会、人種、年齢集団に特有の行動や信念」もしくは「族、国民などの集団が築き,世代から世代へ伝承される生活様式の総」がはまるのではないか。
そう、わたしは、サーフィンが自然とある生活様式、もしくは行動や信念の中にサーフィンが根付いている集団(世界)が好きだったんだ!
だからどうしたっていう話です。でも、気づいていなかったにもかかわらず、わたしは日本におけるサーフカルチャーの発祥地、湘南で暮らす経験ができ、そして、今は世界のサーフカルチャーを語る上でかなり特異な存在といえるサンディエゴで暮らしています。いずれの街でも老若男女問わず、もっと言えばサーフィンをするしないにかかわらず、ものすごく自然に、生活の中に、街のあり方に、サーフィンがあるんです。
もともとはサンディエゴの良さを伝えたいというような気持ちでこのブログをはじめましたが、もっと突き詰めると、わたしはただサーフカルチャーが脈々と継承されているサンディエゴを通して、サーフカルチャーのすばらしさを共有したいだけなのかもしれません。
そして、ここからはちょっと頭が変な子と思ってもらってかまわないのですが、今後、人間が地球と共存するために、持続可能な社会を築くために、サーフカルチャーはひとつの鍵、もしくは道になるのではないか、そんな仮説が自分の中に生まれました。
もちろん、鍵や道はたくさんあって、どこを辿ってもいいのです。ただ、好きな道を選べばいい。そもそも持続可能な社会を築く必要があるのか(人間が地球と共存する必要があるか)っていう意見もあっていい。でも、もしあなたがサーフカルチャー好きなら、きっと同じ道にいる、そんな気がしています。
とりあえず、海では仲良く、楽しく、争わず、競わず。「自分が好きなサーフカルチャーを体現する自分である」ということからまず意識してやってみようと思います。